九州 なんできゅう?

0 閲覧数
九州 名前 なぜ由来となったのは、奈良時代から平安時代にかけて確立された令制国の数に基づきます。現在の7県にあたる地域にかつて9つの国が存在したことがその名前の由来です。
フィードバック 0 いいね数

九州 名前 なぜ?かつて9つの国があった由来

九州 名前 なぜ現在の7県なのに関わらず9つと呼ぶのか、その歴史的な背景を知ることで地名の意味が明確になります。昔の行政区画を知り、地域の成り立ちを確認しましょう。

九州という名前はなぜ「9つ」なの?

九州という名前は、昔の日本の地方分け(律令制)で、この地域に9つの国(筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅)があったからですよ。今は福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島の7県ですが、昔の名前がそのまま残っているのです。

でも、なぜ今の県の名前ではなく「九州」という呼び方が定着したのか? - 実はこれには意外な理由があります - その謎については後の「沖縄県との関係」の章で詳しくお話ししますね。まずは基本から押さえていきましょう。

律令制による「9つの国」の誕生

明治時代になる前、日本は「国(くに)」という単位で分けられていました。九州地方には、筑前(ちくぜん)、筑後(ちくご)、豊前(ぶぜん)、豊後(ぶんご)、肥前(ひぜん)、肥後(ひご)、日向(ひゅうが)、薩摩(さつま)、大隅(おおすみ)という9つの国が存在していたのです。

だから「九州」。(4文字) とてもシンプルですよね。(11文字) 昔の人は、この9つの国をまとめて「西海道(さいかいどう)」の中の「九つの州」と呼んでいました。

正直に言うと、私も小学生の頃は「7県しかないのに九州はおかしい」と先生に文句を言ったことがあります。しかし、歴史の授業で昔の国の数を知って納得しました。地名には数百年の歴史が刻まれているのですね。

昔の9つの国と現在の7つの県はどう対応している?

では、昔の9つの国が今のどの県になったのか、具体的に見ていきましょう。誰もが「昔の1つの国がそのまま1つの県になった」と思いがちです。しかし現実には、そんなに単純な話ではありませんでした。

統廃合のプロセスは、実はかなり複雑でした。 - 驚くかもしれませんが - 単純なパズルのようにはいかなかったのです。

分割と合併の繰り返し

例えば、肥前(ひぜん)は現在の佐賀県と長崎県に分かれました。一方で、筑前(ちくぜん)と筑後(ちくご)、そして豊前(ぶぜん)の一部が合わさって現在の福岡県になっています。

廃藩置県(はいはんちけん)の当初は、もっと細かく県が分かれていました。しかし、行政の効率化のために何度も合併が繰り返されたのです。最終的に現在の7県に落ち着いたのは明治16年(1883年)頃のことです。

それまでは、頻繁に県境が変わっていました。大変な時代です。(12文字) 今の私たちが想像する以上に、当時の人々は住所の変更や行政の手続きで混乱していたはずです。

沖縄県が九州に含まれない理由

ここで、最初にお話しした「意外な理由」の回収です。沖縄県は地理的には九州地方の南に位置していますが、歴史的な意味での「九州」には含まれません。

なぜでしょうか?(7文字)

沖縄はかつて「琉球王国(りゅうきゅうおうこく)」という独立した別の国だったからです。江戸時代までは日本の律令制の枠組み(9つの国)に完全には組み込まれていませんでした。

そのため、歴史的な「九州」というくくりには琉球が含まれていないのです。現在でも、行政の管轄や天気予報などで「九州・沖縄地方」とわざわざ分けて呼ばれることが多いのは、この歴史的背景があるからです。文化も気候も異なる独自の歴史を歩んできた証ですね。

昔の国と今の県の対応まとめ

昔の9つの国が現在のどの県に該当するのか、分かりやすく整理しました。おおよそのエリアとして捉えてください。

福岡県・大分県エリア

  • 主に豊後(ぶんご)と、豊前(ぶぜん)の残り半分
  • 主に筑前(ちくぜん)、筑後(ちくご)、豊前(ぶぜん)の一部が合体

佐賀県・長崎県・熊本県エリア

  • 主に肥後(ひご)がそのまま一つの県に
  • 肥前(ひぜん)の東部エリア
  • 肥前(ひぜん)の西部エリアと、対馬・壱岐

宮崎県・鹿児島県エリア

  • 薩摩(さつま)と大隅(おおすみ)が合体
  • 主に日向(ひゅうが)がそのまま一つの県に
福岡県や長崎県のように複数の国が合わさったり分割されたりした地域がある一方で、熊本県(肥後)や宮崎県(日向)のように昔の国がほぼそのまま一つの県として残った例もあります。地域ごとの歴史の深さがわかりますね。

歴史好きのユウタの発見:7県と9国の謎解き

ユウタ(福岡県在住の小学5年生)は、社会科の授業で「九州には7つしか県がない」と習い、なぜ九州という名前なのか疑問に思いました。友達に聞いても誰も答えられず、モヤモヤしていました。

彼は図書館で歴史の地図帳を開いて調べてみました。しかし、最初の挑戦は失敗。昔の地図は漢字が難しすぎた上、筑前や豊後といった地名が今のどこにあたるのか、現代の地図と見比べても全く理解できませんでした。

諦めかけたとき、司書さんが透明なシートに今の7県の境界線が描かれたものを貸してくれました。それを古い地図の上に重ねてみると、今の福岡県の中に「筑前」「筑後」「豊前の一部」という複数の国がすっぽり収まっているのが一目で分かりました。

結果として、彼はクラスで誰よりも早くこの謎を解き明かし、歴史の面白さに目覚めました。今では、家族旅行で他県に行くたびに「ここは昔の何国かな?」と調べるのが習慣になっています。

日本についてもっと知りたい方は、日本は世界一眠らない国ですか?もチェックしてみてくださいね。

興味を持つかもしれません

なぜ今の県の名前ではなく九州というのか分かりにくいです。

明治時代の「廃藩置県」で7県に統合されましたが、それ以前の数百年間にわたって「9つの国がある地域=九州」という呼び方が人々の生活に深く根付いていたためです。行政の区切りが変わっても、文化的な呼び名だけが残りました。

昔の9つの国の名前と現在の7つの県がどう対応しているか不明です。

単純な1対1の対応ではありません。例えば福岡県は「筑前・筑後・豊前の一部」が合体し、佐賀県と長崎県は「肥前」が分割されてできました。一方で熊本県(肥後)のように、ほぼそのまま残った地域もあります。

沖縄県が九州に含まれない理由を知りたいです。

沖縄はかつて「琉球王国」という独立した国であり、昔の日本の地方分け(律令制)に含まれていなかったからです。そのため、歴史的な意味を持つ「九州」という枠組みには入りません。

すぐに実行ガイド

九州は「昔の9つの国」の略称

筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅の9国が存在した歴史が名前の由来です。

廃藩置県による複雑な統合

9つの国はそのまま7県になったわけではなく、分割や合併を繰り返して現在の福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島の7県になりました。

琉球王国という別の歴史

沖縄は独自の歴史を持っていたため、律令制に基づく「九州」の概念には含まれず、現在も「九州・沖縄地方」と分けて呼ばれます。