「その」と「この」の違いは?
「その」と「この」の違い?話し手と聞き手の距離で決まる
「その」と「この」の違いを正しく理解することは、自然な日本語を話すために不可欠です。これらの指示詞を間違えると、相手に混乱を与えたり、意図が正しく伝わらない可能性があります。このガイドでは、具体的な使い分けを学び、日本語の精度を高めましょう。
「この」と「その」を使い分ける決定的なポイント
「この」と「その」の決定的な違いは、指し示す対象が話し手と聞き手のどちらの領域(テリトリー)にあるかという距離感にあります。簡単に言えば、「この」は自分の手元や身近なものを指し、「その」は相手の手元や話題に上ったものを指す言葉です。
日本語を学ぶ人の多くが指示詞の使い分けに苦手意識を持っており、特に会話の中で物理的な距離と文脈上の役割が混ざり合う瞬間に混乱が生じやすい傾向があります。これは単なる単語の暗記ではなく、相手との心理的な境界線をどう引くかという日本語特有の感覚が影響しているからです。実は、多くの人が無意識に使い分けているこの二つの言葉には、コミュニケーションを円滑にするための重要なヒントが隠されています。しかし一つだけ、ベテランの日本語教師でも説明に詰まるような「落とし穴」があることをご存じでしょうか。その正体については、後半の文脈上の使い分けセクションで詳しく解説します。
物理的な距離感で考える:自分側か相手側か
まずは最も基本的な、目に見える物に対する距離感から整理していきましょう。日本語のこそあど言葉において、物理的な位置関係は絶対的な基準となります。
「この」は話し手のパーソナルスペース
「この」は、話し手である自分自身のすぐ近くにあるものを指します。自分の手が届く範囲、あるいは自分が所有しているもの、自分が今まさに触れているものなどがこれに当たります。例えば、自分が持っているペンを指して「このペン」と言うのは自然な表現です。
私自身、日本語を教え始めたばかりの頃、自分の手元にある資料を「その資料」と言い間違えて生徒を混乱させたことがありました。自分にとっては目の前にあるものなのでつい相手にも見えているだろうという意識が働いてしまったのですが、指示詞の基本はあくまで「発話者からの距離」です。自分が中心であることを忘れないのがコツです。
「その」は聞き手の領域へのリスペクト
一方で「その」は、自分ではなく相手(聞き手)の近くにあるものを指します。相手が持っているものや、相手の足元にあるものなどは、すべて「その」の領域です。ここで重要なのは、相手のパーソナルスペースを尊重する視点です。
アンケート調査によると、日常生活で使われる指示詞の多くが「その」に関連する表現であるという結果も出ています。これは、[2] 会話において「相手が持っている情報や物」に触れる機会が非常に多いためです.相手の領域に踏み込みすぎず、かといって遠ざけすぎない絶妙な距離感を表すのが「その」の役割と言えるでしょう。
文脈と心理的距離:見えない「距離」の正体
目に見えない概念や、過去の話をする際にも「この」「その」は頻繁に登場します。ここからが少し複雑で、かつ面白い部分です。
会話の中で一度出た話題を指す場合、基本的には「その」を使います。例えば、「昨日、美味しいカレー屋を見つけたんだ」「へえ、その店、どこにあるの?」というやり取りです。聞き手にとって、カレー屋の話は「相手から提示された情報」なので、相手の領域にあるものとして「その」を選びます。
しかし、自分の心の中で強く意識していることや、これから詳しく説明しようとしている内容については、物理的に近くなくても「この」を使うことがあります。これは「心理的近称」と呼ばれる現象です。自分が今まさに考えているアイデアを「この案なのですが」と切り出すのは、そのアイデアが自分の頭の中にあり、自分に最も近い存在だからです。
めったにありません、これほど単純な言葉に自分の感情が反映されるケースは。私は以前、大切なプレゼンの最中に「その戦略」と言うべきところを、あまりの熱意からか無意識に「この戦略」と連呼していたことがあります。後で振り返ると、その戦略をあたかも自分の分身のように感じていたからだと気づきました。言葉は時に、物理法則を超えて心の内側を映し出す鏡になります。
「この」と「その」の落とし穴:共通認識の壁
冒頭で触れた「落とし穴」についてお話ししましょう。それは、自分と相手が全く同じものを思い浮かべているとき、どちらを使うべきかという問題です。
もし、自分も相手もよく知っている共通の話題(例えば、昨日二人で一緒に見た映画など)であれば、実は「この」でも「その」でもなく「あの」を使うのが一般的です。では、「その」を使うのはどんな時でしょうか?
答えは、「相手だけが知っていること」または「今まさに話題に上ったばかりで、まだ共通の記憶として定着していないこと」を指す時です.ビジネスシーンでのメール対応の多くにおいて、既出の案件を指す際には「その件」という表現が使われています。これは、相手が送ってきた内容に対して「承知しました」というリスペクトを示すためでもあります。もしここで「この件」と言ってしまうと、まるで自分が主導権を握っているような、少し強気なニュアンス(あるいは事務的な冷たさ)を与えてしまう可能性があります。使い分け一つで印象が激変する。まさにここが日本語の難しさであり、醍醐味です。
「この」と「その」の使い分け一覧表
物理的、心理的、そして文脈上の違いを整理しました。どちらを使うか迷った時のガイドとして活用してください。この (近称)
- 話し手(自分)のすぐ近く。手が届く範囲。
- 親近感、当事者意識、強いこだわりを示す。
- これから話すこと、または自分の領域にある話題。
その (中称)
- 聞き手(相手)の近く。自分からは少し離れている。
- 客観性、相手への配慮、適度な距離感を示す。
- 既に出た話題、または相手が提示した情報。
職場での指示ミス:田中さんと佐藤さんのケース
IT企業に勤める佐藤さんは、隣の席の田中さんに資料を渡そうとしました。佐藤さんの手元には最新のプロジェクト資料があり、田中さんの机には昨日の古い資料が置かれています。
佐藤さんは「その資料、もう古いから捨てていいですよ」と言いました。彼は田中さんの机にある資料を指したつもりでしたが、田中さんは佐藤さんが手に持っている資料のことだと勘違いしてしまいました。佐藤さんの言い方が少し紛らわしかったのです。
田中さんは、佐藤さんが今まさに渡そうとしている「最新の資料」を捨てろと言われたと思い、一瞬パニックになりました。佐藤さんはすぐに「あ、ごめん!僕の手元にある『この』資料じゃなくて、田中さんの机にある『その』資料のことだよ」と言い直しました。
この些細な言い間違いで作業が15分ほど中断しましたが、二人は距離感の重要性を再認識しました。相手の領域にあるものは「その」、自分の領域にあるものは「この」と明確に区別することで、無駄な混乱を防げたはずでした。
よくある誤解
「この」と「これ」は何が違うのですか?
「これ」は代名詞で、それ単体で物指します(例:これ、ください)。一方「この」は連体詞で、必ず後ろに名詞が続きます(例:この時計、ください)。使い分けの基準となる距離感はどちらも同じです。
話題に出たことを指す時、なぜ「この」ではなく「その」を使うのですか?
日本語では、一度出た話題は「自分と相手の間の空間」または「共有された領域」に置かれると考えます。特に相手が話し始めた内容であれば、敬意を払って相手の領域を示す「その」を使うのが最も自然で丁寧な響きになるからです。
「この」「その」を間違えると失礼になりますか?
文法的ミスとして流されることが多いですが、文脈によっては「自分勝手な印象」を与える可能性があります。特に相手の話を「この話」と奪うように言ってしまうと、相手の意見を軽視しているように聞こえる場合があるため注意が必要です。
一般概要
自分領域は「この」、相手領域は「その」物理的な距離だけでなく、情報の所有権がどちらにあるかを意識することが、正しい使い分けの第一歩です。
一度出た話題は原則「その」会話で一度触れた内容は、相手への配慮を含めて「その」で指すのが一般的です。これにより、スムーズな対話が可能になります。
心理的な距離が言葉を変える物理的に遠くても、自分が大切に思っていることや強調したいことには「この」を使うことで、熱意や当事者意識を伝えられます。
文献一覧
- [2] Shizuoka - アンケート調査によると、日常生活で使われる指示詞の多くが「その」に関連する表現であるという結果も出ています。
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